勉強するということ2
今回は、外的なところから、勉強する理由を考えてみる。
お客さんが欲しいものは「要求をかなえてくれる何か」である。
だから、SIerが受注して、システムとして作り込んで提供する。
そして、そのシステムが「価値」のあるものであったときに、
お客さんはそれに対価を支払う。
「価値」が何か?「品質」何か?
というのは、まだ分かりきっていない。
バグが無い=高品質、高価値
でないという事くらいなら分かるけど。
以下引用------------------------------------------------------
品質は誰かにとっての価値
「品質は誰かにとっての価値」とは、著名なソフトウェア開発コンサルタントであるG.ワインバーグ氏の言葉です。
この言葉が意味するのは、ソフトウェアの価値を判断する「誰か(人)」や、その人が利用する「場面」が、ソフトウェアの品質を決めるということです。ワインバーグ氏はこれを「品質の相対性」と呼んでいます。
前述したQCDの要件をすべて満たすこと――すなわち、「欠陥がない低コストなソフトウェアを適切な時期に利用可能にする」というのはとても意味あることです。ただし、それに固執しすぎると、本来ねらっていた価値を持たないソフトウェアが出来上がってしまうおそれが高まります。「価値あるソフトウェア」であるかどうかは、価値の背後にある「人や場面」についての考察がないと判断できないはずなのです。
http://www.ciojp.com/specialplan/t/50/6990 より
この話はこの辺にしておこう。
で、先日の先輩の話にも関係してくるけれど、
あくまでお客さんは完成したシステムを手に入れるためにお金を払うということ。
僕らが100H働いたから100H分のお金をくださいなんて商売ではない。(一括請負なので。一応。)
「頑張ったからお金ください」でもないよね。
前に「僕らの能力に対する対価だ」といっていた同期がいたが、
僕はそうだとは思わない。
逆に、それを言えるだけの能力があるのか??
月に何十万も君に払う価値が本当にあるのか??
いつまでお花畑を彷徨うつもりだ。
そこで、「お勉強」が登場する。
モノを生み出せないSEはSEなのか?
お客さんは、僕らの専門性を頼りにしている。
要求をシステムに変換していくのがSEだと思う。
そこに応えれなければSEではないのだ。
では、何が要るのか?
知識、スキルなのですね。
だから勉強するのですよ。
早く管理職になりたいとか。
技術はいいからマネジメントを勉強して…
と言う子はたくさんいるが、
SEとして働くのなら、
飛ばせないステップがあるのですよ。
嫌なら、業界を間違えたんだ。
逆に、それだからこそ、僕らは必要とされる事になる。
必要とされたところで、その願いを叶える。
そんなSEになりたひ。